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北条泰時(金剛)の最期や死因は?何をした人物なのかについて紹介!

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北条泰時(金剛)の最期や死因は?何をした人物なのかについて紹介!

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で坂口健太郎さんが演じる金剛こと北条泰時。

ドラマでは小栗旬さん演じる北条義時と新垣結衣さん演じる八重の子供として大変注目が集まっています。

今回は北条泰時について、「何をした人物なのか?」「最期や死因は?」などを紹介します。

北条泰時(金剛)のプロフィール

北条泰時(金剛)のプロフィール

【プロフィール】
名前:北条泰時(ほうじょう やすとき)
幼名:金剛(こんごう)
生涯:1183年(寿永2年)〜1242年(仁治3年)6月15日
両親:父=北条義時、母=阿波局
妻:正室=矢部禅尼(三浦義村の娘)、継室=安保実員の娘、他
子:時氏、時実、公義、他

官位:駿河守、武蔵守、讃岐守、左京権大夫、正四位下
幕府:鎌倉幕府侍所別当、六波羅探題北方、鎌倉幕府3代執権
墓所:神奈川県鎌倉市大船 常楽寺

北条泰時は北条義時の長男で、のちに鎌倉幕府3代執権となる人物です。

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では坂口健太郎さんが演じています。

泰時は1183年に生まれていますが、その年の史書である『吾妻鏡』が欠落しているため、生誕に関する情報は不詳となっています。

泰時といえば、鎌倉幕府における北条家の長期政権を築き上げるなど多大な功績を残し、御成敗式目を制定した人物として有名です。

北条泰時(金剛)の母親は誰?

『鎌倉殿の13人』では北条泰時の母親は伊豆の豪族・伊東祐親の娘である八重(役:新垣結衣さん)という設定になっていますが、実際の泰時の母親は一体誰なのでしょうか?

泰時の母親に関しては、阿波局(あわのつぼね)であったということはわかっています。

阿波局といえば、『鎌倉殿の13人』において北条義時の妹である実衣(役:宮澤エマさん)が後に名乗る名前なのですが、なぜ泰時の母親と実衣が同じ阿波局という名前なのかは詳しくはわかっていません。

新垣結衣さん演じる八重

宮澤エマさん演じる実衣(阿波局)

どちらかの阿波局という名前が間違って伝わってしまったのか?もしくは実衣が亡くなった後に泰時の母親が阿波局という名前を受け継いだのか?などさまざまな考察が今もなお議論されています。

以上のことをまとめると、

  • 北条泰時(金剛)の母親は阿波局
  • 北条義時の妹・実衣とは別人物
  • 御所に仕える女房で生没年、出自など詳細は不詳

といった感じになります。

つまり泰時の母親に関する記録が残っていないため、八重が泰時の母親であった可能性もゼロではありません

ちなみに同じく鎌倉時代を題材にし1979年に放送されたNHK大河ドラマ『草燃える』では、北条泰時の母親は大庭景親の娘・茜(役:松坂慶子さん)と設定されています。※ドラマオリジナルの架空人物

北条泰時(金剛)は何をした人?

北条泰時は何をした人物なのでしょうか? 

主な出来事を年表にするとこちらになります。

年代 出来事 年齢
1194年(建久5年) 元服 13歳
1202年(建仁5年) 三浦義村の娘(矢部禅尼)を正室に迎える 19歳
1203年(建仁6年) 第一子誕生(北条時氏)
比企能員の変
20歳
1213年 建歴3年 和田合戦
陸奥遠田郡の地頭職に任じられた
30歳
1218年 建保6年 侍所別当 35歳
1219年 承久元年 従五位上・駿河守に叙位・任官 36歳
1221年 承久3年 承久の乱
六波羅探題北方に就任(1224年まで)
39歳
1224年 貞応3年 鎌倉幕府3代執権 42歳
1225年 嘉禄元年 評定衆を設置 43歳
1232年 貞永元年 御成敗式目を制定 50歳

北条泰時が特に活躍したのは30歳以降になってのことでした。

1213年に有力御家人のひとりである和田義盛が北条義時を排除しようとした反乱・和田合戦では父の義時と共に参戦するなど実績を積んでいきます。

1221年には、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げた兵乱である承久の乱において幕府軍の総大将の抜擢され鎮圧に成功しました。

その後は、朝廷の動きを監視するために設置された機関である「六波羅探題」の北方の初代代表に就任します。

1224年には、父親の義時が急死したために鎌倉幕府第3代執権に就任し、翌年の1225年に「評定衆」を設置し、有力御家人による合議により運営する最高政務機関(行政、司法、立法)を運営します。

評定衆で最初に選出されたメンバー(11名)

中原師員、中条家長、二階堂行村、三善康俊、斎藤長定、三浦義村、佐藤業時、矢野倫重、後藤基綱、二階堂行盛、三善康連

そして1232年には、これまで公家に合わせて作られていた法律を改め、武士の習慣や実態に合わせて作った最初の武家法で全51箇条からなる「御成敗式目」を制定しました。

このように、泰時は話し合いによる政治を始めたり、武士の法律を作ったりと武士による政治の基礎を固めた人物として歴史的にとても評価の高い人物です。

北条泰時(金剛)の最期は?

北条泰時の最期や死因について紹介します。

北条泰時の最期は病気によって亡くなっています。

前権中納言藤原経光の日記である『民経記』によると、最後は高熱で苦しみ1242年(仁治3年)6月15日にこの世を去ったと記されています。

享年で60歳です。

皇位継承問題など大きな心労が原因と言われており、また赤痢(発熱、腹痛を伴う大腸感染症)も併発してしまったことが最終的な原因でした。

また、義時、政子、大江広元と、北条氏政権で重要な地位にあった人物も泰時と同じ6月から7月にかけて亡くなったことから、承久の乱で配流された三上皇の怨霊による祟りではないかと噂されました。

承久の乱で流布された三上皇

  • 後鳥羽上皇は隠岐
  • 土御門上皇は土佐
  • 順徳天皇は佐渡

過去に北条泰時(金剛)を演じた俳優は?

過去に北条泰時(金剛)を演じた俳優について紹介します。

北条泰時はこれまで、『草燃える』と『鎌倉殿の13人』の2作品で描かれています。

草燃えるでは、幼少期は尾美としのりさん、成人期は中島久之さんが演じています。

幼少期の泰時を演じた尾美としのりさん(現在)

成人期の泰時を演じた中島久之さん

そして、『鎌倉殿の13人』では幼少期(金剛)は森優理斗くん、成人期は坂口健太郎さんが演じています。

 

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北条泰時(金剛)を演じた俳優

『草燃える』1979年NHK大河ドラマ
・尾美としのりさん(幼少期)
・中島久之さん(成人期)

『鎌倉殿の13人』2022年NHK大河ドラマ
・森優理斗くん(幼少期・金剛)
・坂口健太郎さん(成人期)

まとめ

今回は、金剛こと鎌倉幕府第3代執権・北条泰時について紹介しました。

  • 北条泰時は御成敗式目制定など鎌倉幕府北条家の中興の祖として活躍
  • 母親は阿波局(八重かどうかは不明)
  • 北条泰時は病気により死去(享年60歳)

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